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渡辺真知子のおすすめ曲は?結婚と現在について

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(画像引用:amazon.jp


渡辺真知子(わたなべ・まちこ)は日本の歌手、シンガーソングライターです。

ここでは渡辺真知子のプロフィール、結婚と家族、おすすめの曲ついて書いていきます。

 

渡辺真知子のおすすめ曲は?結婚と現在について

 

 

 

渡辺真知子のプロフィール

<プロフィール>
本名:渡邊真知子(わたなべ・まちこ)
生年月日:1956年10月23日
出身:神奈川県横須賀市
学歴:洗足学園短期大学
デビュー:ヤマハポピュラーソングコンテストにて特別賞を受賞したことがきっかけに。


渡辺真知子は1975年にニューミュージックの登竜門『ヤマハポピュラーソングコンテスト』に友人と組んだ『PIA』というバンドで出場し、特別賞を獲得しました。


その2年後の1977年、大学を卒業した年に『迷い道』でデビュー。

『迷い道』は80万枚を売り上げる大ヒットになり、

その年のレコード大賞新人賞を受賞しました。

渡辺真知子のおすすめ曲


渡辺真知子は、これまで数多くのシングルとアルバムを発表しています。

その多くは1970年代〜1980年代に発表されています。

この頃の渡辺真知子は相当多忙だったはず。

ですが、その期間に集中して制作されたアルバムは現在聴いても完璧で魅了されます。


デビュー曲から2年後の1978年に発売された『かもめが翔んだ日』『ブルー』も大ヒット。

シンガーソングライターとしての地位を確固たるものにしていきました。

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(画像引用:amazon.jp

 

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(画像引用:amazon.jp


その後、80年に発売された『唇よ、熱く君を語れ』は、自立した女性をイメージさせる曲調。
当時資生堂のCMで起用されました。

ときはバブル経済の始まり。何か楽しいことを予感させる高揚感と相まって、42.6万枚を売り上げるヒット曲になりました。

 



『フォグ・ランプ』(アルバム)

当時のアルバムを聴いていると、20代前半だった渡辺真知子の心模様を歌詞から窺い知ることができます。

この頃の渡辺真知子の曲は、アレンジは当時流行した歌謡曲らしい曲調ですが、恋愛のままならなさを切なくも力強く歌い上げた曲が多いのが特徴です。


もしかしたら、1970年代当時の渡辺真知子はすごい恋愛をしていたんじゃないか。そんなことを妄想させられてしまいます。(単なる妄想ですが)

 

渡辺真知子の結婚


渡辺真知子は天真爛漫な性格で、バラエティ番組にもよく出演していました。

出会いの機会も多かったはずで、たくさんの恋愛を経験してきたことが想像できます。ですが、渡辺真知子はこれまで芸能人や有名人との恋愛スクープを報道されたことはありません。

また渡辺真知子はこれまで結婚はしておらず、今のところ独身です。

渡辺真知子の家族は両親と兄の四人家族です。

デビュー当時は内緒でレコードを購入して知り合いに配った父親と、専業主婦で歌手の低迷時期には「食べられなくなったら戻ってきなさい」と見守ってくれていた母親。そして6歳年上で金融関係の仕事に就いている兄がいます。

また2017年に発売された、デビュー40周年記念アルバムには、2006年に他界した母親、2007年に他界した父親への愛情を歌った曲も収録されています。

最近では、自宅で犬を二匹飼っており、とても可愛がっている様子ですよ。

渡辺真知子の近況

渡辺真知子は、歌番組という形態が少なくなったためテレビで見かける機会は減りましたが、現在もアルバム制作とライブ活動を定期的におこなっています。


ラジオ(エフエム世田谷、山梨放送)パーソナリティとしては、元気な声を聴くことができます。

また2006年には所属事務所から独立、2011年に『カモメミュージック』という個人事務所を設立しました。これは渡辺真知子自身の出身地である横須賀の海から名付けたもので、渡辺真知子の曲からも伝わるイメージでもあります。

コロナ禍で入場制限や中止延期を余儀なくされながらも、国内外のライブ活動を中心に精力的に活動しています。


musogogo.hateblo.jp